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雑録です。

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2024 
April 26
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2009 
November 12
52f720e0.jpg 第一巻聴いて二巻を聴かないわけにはいきません。そんなわけで二巻。
アンタイルの次はシュルホフですかだから誰ですか、と。音楽聞き出してそう経たないもんだからさっぱり解らないですが、ダダ・シーンに影響を受けた音楽家らしい。先頭は彼のピアノ協奏曲。邦題は「ジャズ風に」という副題付き。怪しいなあと思いながら聞いていると、出だしは確かにダダっぽくて「うにゃあ」ってなりはしたのですが、ちょっと経つとアメリカ人顔負けの甘いメロディが。だからといって精神の弛緩には入らない。神秘と、それから飛びっきりの甘さと、何より怪しさ(笑)。調べてみるとチェコのユダヤ人作曲家で、ホロコーストのせいでお亡くなりになったとか。現代音楽の怪しさをばっちりバランス良く配分してるあたり、なかなかツボにはまるタイプの作曲家なんですが、勿体ない若死にだったなあ。東欧音楽の粘着質と現代音楽の神秘とが混ざりながらも、洒落っ気に富んでるあたり、マルティヌーなんかとは正反対ですよね。かなり民謡を排されてるイメージではあるんですけど、でもマルティヌーとは違って身体のある音楽、というイメージも強いかなあ。崩しては玩びの流動を積み重ねるのはマルティヌーに似てるし、確固たるイメージを持たせることを徹底的に拒否するようなのも彼そっくり。東欧音楽ってのは何でこんなに噛みにくいのか。でもスルメだ。それにしても怪しい。第二楽章の「ソステヌート、カデンツァ、アレグロ・エスプレシーヴォ、アラ・マルシア・マエストーソ」というおっとろしく長ったらしい指示からしてとんでもなく怪しい。マーチどこなんだ。第三楽章「アレグロ・アラ・ジャズ、アラ・ジンガーレスカ、テンポ・プリモ、プレスティッシモ」は現代音楽の「熱い」音楽ですね。パーカッションの炸裂気味が何よりとんでもない(演奏陣がまた超かっこいい)。中盤の異邦人めいたバイオリンもミステリアスというか、本当にどこまで行っても見えない音楽を書く。マルティヌーよりなまじ身体に馴染むだけに質が悪い! バイオリンが退場すれば再び打楽器群が大暴れ。呪術的に、でもどこかジャジーに暴れ回ったオーケストラが最後には原始人の踊りさながら回りに回って終曲。呪術(ダダイズムなのか……?)とジャズの混合という一見ゲテモノ風に見える曲の割には、なかなか聴いててエンターテイメントな曲でした。そういうキモカッコイイ現代音楽は好きだ。
二番目はアンタイルのジャズ・シンフォニー。コープランドとガーシュウィンに大絶賛されたらしい割には全く目立たないアンタイルさん。代表作「バレエ・メカニーク」のピアノはコープランドがやったらしいですがそんなもの聞ける金なんてある訳もなく(ナクソスで一枚出てました)。仕事の締切に二年遅れた挙句の初演が(当時の)オール・ネグロ・オーケストラというところから既に曰く付き感はマックス(その間に一山当てたのが後述のガーシュウィンのピアノ協奏曲というわけです)。大穴博打当て作曲家って印象は拭えないですが、でもなかなか。中身は第一巻の「ピアノ協奏曲第一番」と同じで、アメリカ音楽特有の甘ったるさと六人組の無条件の(ぎらぎらと毒々しい)幸福感を混合させた感じ。ガーシュウィンはストラヴィンスキーとフランス人のフォロワー的な作品だと書いているらしいですが、まさしくそんな感じ。ミヨー初期の怪しさも混じってるのかなあ。そしてびっくりするぐらい「どこがジャズだよ!」な感も拭えません。同じような主題を幾度となく反復された挙句、ショスタコーヴィチばりのあやすぃ弦の使い方も「うぎゃあ」ってなる感じ。と思えば弱音器付きのトランペットはゴツク歌ってらっしゃって死ぬ程すてきだし、「いい加減にしろよ!」ってぐらいしつこく続くピアノと弦の裏打ちも何だか笑えてくる。そこにまた弦がちゃかしに入ってくる一方、ピアノはおっとろしくシリアスな顔付きで打鍵……何ちゅう音楽だ。キチガイスレスレというか、成程そりゃガーシュウィンやコープランドみたいな解りやすさとはかけ離れまくり。コープランドのピアノ協奏曲なんてわかりやすいバカっぷりに徹してる分何も考えず「いえーい」と楽しめたりしますが、こいつあキチガイだぜ! っていう。と思えばガーシュウィンのピアノ協奏曲から丸々引用されたり、お前はアメリカのショスタコーヴィチですか。これを知的と呼ぶべきかどうかは私には全く解りませんが、まあ愛すべきキチガイ作曲家とだけは。最後までガーシュウィンの主題をパロディするあたりもうどうしようもない。ただ盛大に笑える音楽という点では物凄く有用でしょうか(笑)。うーん、食えない奴です。ある程度エンターテイメントに徹してるシュルホフより「わかりやすさ」を装うお前の方がよっぽど怖いわ! キチガイ一直線のヴァレーズよかよっぽど怖い人間が居たんだまったく。エンターテイメントとして楽しめるか否かと言えば、前出のピアノ協奏曲の方がよっぽど親しみやすいですね。こっちは毒っ気が強過ぎてなかなか……。
三人目はガーシュウィンの「ピアノ協奏曲」。最早何も言うことはあるまいタイプのアメリカ音楽です。個人的にはコープランドみたいな身体的な快楽を伴うリズムが無い分ちょっと味気ないタイプの人だったりはするのですが、さすがは初代アメリカ音楽家、アメリカ音楽の甘ったるさを惜しげもなく大放出。ピアノが歌ってすり寄ればオーケストラも陽気に爆裂。何より弦の甘ったるいことこの上無い。うーん、書くことがない……。単純に楽しめる音楽ではあるんですけど、何か取っ掛かりがあるかと言えばそうでもない。「パリのアメリカ人」の妙に鼻につくおどけぶりがかなり取れて丸くなった分かなり聞きやすいし、実際そっちよりはるかに良い曲だとは思うんですが。演目としてもちょっとオマケの余芸程度って感じはします。アンタイルと違って真面目に同一主題を繰り返す辺りも身体的な興を感ずるには非常に面白いし、全体の諧謔としても大変ナチュラルでくすりと来る程度のこじゃれたもの。実際よく聞いてはいるんですが、いざ書くとなると本当に書くことのないのが残念ではある。第一楽章第二楽章はアレグロだから仕方ない、ならアダージョの第二楽章に何かあるかなと思ったらそうでもなく、ぬるーいジャズ調で攻めてくる、やわらかコープランド状態。うーん。ま、まじめな音楽だ……としか。嫌いじゃないんですが。

あ、後相変わらず演奏は極めて良好です。熱演です。微妙にオケ側のテンションの冷めた演奏の散見される一巻より遥かに熱い。ピアノ担当のリシェはその代わりガーシュウィンの演奏はなんかこう、商売でやってるような弾きっぷり。メジャーなガーシュウィンなんてやるぐらいならせめてストラヴィンスキーの「ラグタイム」ぐらいはやりたかったのかも。いや、いい曲なんですよ、ガーシュウィンの。でもバリュエーションの利かせた第一巻と違ってちょっと手放しには絶賛できないプログラムだったかなあ、というところ。でもファーストコンタクトのシュルホフは良かったです。後はアンタイルの目立たなかった理由もちょっと解る気がします。晦渋とか六人組的というだけならまだ皆解るんだけど、心地よい馬鹿さ、ということからはちょっとかけ離れる。どうしても鼻につくおどけぶり、たとえばミヨーやサティのような完全に演じ切ったおどけぶりからはちょっとベクトルの反れてしまう、厚かましいふざけ方が滲み出ているからでしょうか。愛すべきタイプとは思うのですが。うーん、ナクソスで一枚買うかどうかは、もうちょっと考えることにします。面白そうなんだけどなあ。
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2009 
October 18
bc89e626.jpg

サン=サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーランク、オネゲル……魅かれる名前が一つでもある人は手をあげなさい先生怒らないから状態の選曲がやば過ぎる、ポール・メイエのアルバムを買ってしまいました。入手しやすいCrest 1000というのもグッド。これで1000円とか……価額破壊っていうかもう恐れ多いレベルっていうか……。

ポール・メイエといえば誰もが知ってる世界的プレイヤーですが、最近は指揮にも手を出してるようで。吹奏楽やってる人ならご存知2009コンクールの参考演奏指揮でふにゃふにゃな指揮をやってたあのお方です。見てた誰もが「何だこいつ」って思うあの指揮のなんだかなあ感に比してこのアルバムは半端ない。

繰り返す通り、まず選曲が半端ない。サン=サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーランク、オネゲル……ショーソンとプーランクはお初ながら、みんな好きだっていう……フランス音楽垂涎もいい加減にしろっていう……。奏者も半端無い。ポール・メイエの凄すぎるオールプレイヤーっぷり(サン=サーンスとドビュッシーとオネゲルなんて組み合わせこの人ぐらいにしか出来ないんじゃなかろうか)と、それと「書く音楽」みたいな性質が心地よい。抒情よりは寧ろ叙述的だと思った。こんな形容を音楽にするのは初めてだけれど、まさしく叙述的な、書く音楽をする人だと思う。映画音楽に似た何かに、この人が吹いた途端に変わってしまう。それとクラリネット特有のか、それともこの人特有のか、どこかノスタルジックな響きも心地よい。相方のエリック・ルサージュも渋い。「あっしは相方ですから」と控えめ控えめ、でも堅実で丁寧なピアノが素晴らしい。

一番目を飾るのはサン=サーンスのソナタ。死の直前に三つの管楽器のソナタが書かれたのは有名な話ですが、何せ聞く機会が無いのでこれは嬉しい。第一楽章、第二楽章。死の直前であってもこの人の技巧の光輝は失われない。でも第三楽章のレントはちょっと別格。この人のどの曲にも見られないような絶望的な、暗澹とした細い嘆きが聞こえてくる。天才なのに天才として認められなかった人の、モーツァルトになり得なかった人の哀しさでしょうか。とても平易な曲調なだけにこの叫びは胸を打ちます。第四楽章は打って変わって超絶技巧。サン=サーンスはなり得なかった天才の音楽をそれでも貫き通した人なんだなあ、と改めて思いました。私はそれでも天才なんだ、みたいな負け意地の強さがどこか根底に見えるような、でもその負け意地はどこか優しくなめらか。クラリネットのノスタルジックな輝きが満艦飾で鏤められた良曲だと思います。
二番目はショーソン。「愛と海の詩」(それも名前だけ)だけしか知らないですが、これもなかなか歌心のある音楽。アンダンテがフォーレばりの典雅振り。アレグロからの勇ましいクラリネットが踊る踊る。ピアノの細やかな指使いもすごい。サン=サーンスに増してロマン派の音楽ではあるのですが、所々単純にロマン派という枠組みでは抑え切れないような洒落た仕掛けも見えたりして、なかなか。
三番目はドビュッシー。「小品」が二分足らずの作品の癖にこれが中々凄い。流動的なドビュッシーのオーケストレーションというのは中々苦手だったんですが、管弦楽だとイマジナティブなことこの上無い。楽器自体が遊泳するような音楽で、ドビュッシーの海を垣間見るような、瞬間的な美の溢れた逸品です。「ラプソディ第一番」も冒頭のピアノから頭蓋骨の裏側で滴が垂れてきそうな音楽。それも実に官能的な海辺。今にも空気に溶け切ってしまいそうな、その第一線をぎりぎりで踏み越えずにいるような愛しいもどかしさ。形成と柔らかな溶出を繰り返しては踊っていく。その戯れが愛しいことこの上ない。孤独で無為で、子供の時間そのものを集約したような、そんな柔らかな音楽です。ドビュッシーは本当に器楽曲で凄い。奏者二人の波打ち具合も凄いですよ。
四番目ミヨー。ミヨーといえば「世界の想像」「屋根の上の牡牛」のカラフルでお洒落なオーケストレーションに、「男とその欲望」のようなおどろおどろしい呪術的要素に、「プロヴァンス組曲」の田園と一人で三粒も四粒も美味しい奴。私はその転がり具合が好きでたまらないのですが、どちらかと言えば前衛前衛した初期作品は苦手。「クラリネットとピアノのためのソネチネ」は作品100という番号が示す通りある程度初期作で、第一楽章と第三楽章のどす黒い、毒のあるフレーズがちょっと苦手。でも第二楽章の満たされない浮遊感はドビュッシー顔負けの流動振り。聞いているだけで世界の根元にまで潜り込んでしまいそうな、そのまま天上に吸い込まれてしまいそうな透明な内省に包まれていると、やっぱりこの人はおどけてるばかりの人じゃないよね、と思うところです。暴れるような、荒々しい叫び声に比しての静寂はもうお見事としか言い様がない。「クラリネットとピアノのためのデュオ・コンチェルト」「カプリス」は後期牧歌ミヨー大発揮。子供の秘密基地の無為さ、愛おしさとどことなく響いてくる寂しさに胸を打たれずにはいられません。この人もストラヴィンスキーと同じで(「ペトルーシュカ」の甘さ賑やかさなんてそれこそ子供時代の無為さに通うところがありませんか)、どこか子供っぽい人だったんじゃないだろうか、と思います。そういう子供っぽさが最後に響いてくる後期の作品がたまらなく好き。本当にたまらない。お行儀良く済ました子供が、突如そっと立ち上がって森に消えていく、木陰でくるくると誰にも見られずに舞踏の練習をしている、そんな情景を思い浮かべたり、とか。
五番目プーランク、初めてのお立ち会いですがこれがなかなか凄い。本質的には生まじめもいい所なオネゲル、色彩感は極めて豊かだけれどどことなく田舎っぽさが脱け切らないミヨーに比するとプーランクの瀟洒振りは六人組随一でしょうか(デュレ、オーリック、タイユフェールを聞いたことがないので何とも言えないのですが)。オネゲルの死の追悼のために書かれたという「クラリネット・ソナタ」は、六人組特有のお洒落なおどけ方を見せながらも根幹は純粋な悲哀にあります。哀しそうに見せて実はそんなことないよ、という六人組の意地悪さはなくて、本当に人を弔うための音楽です。でもやっぱりお洒落なんだけど、お洒落な哀しみって本物の哀しみよりもっと深く心を抉る物がありませんか。哀しくともどこかお洒落でいてしまうその哀切振りの真摯さに、やっぱり六人組は生真面目な人達だなあと思ったり。だから第三楽章のモダン極まりない楽しい踊り方はむしろ第二第一よりよっぽど哀しく聞こえてしまう。オネゲルのサティ・トリビュートをそのままくみ取ったような舞踏が、この人の精一杯の手向けだったのかなあ、とか。優しい人だったんじゃないでしょうか、プーランク。何となくですが。
一方弔われた側のオネゲルの「クラリネットとピアノのためのソネチネ」は六人組全開です。サティ・トリビュートでありながらもおどけきれずに生真面目になってしまうその可愛さはこの人からしか味わえない。第一楽章のモデラートは胡散臭さ全開のつもりが本当に怪しくてこそばゆい音楽、でもそこが可愛らしい。ピアノの踊りも見事です。第三楽章の飛んだり跳ねたりのリズムはプーランクとはまた違ったお洒落っぷり。どことなく男前なステップ。もっと明るく楽しく踊ればいいのに素直じゃない。「ピアノ小協奏曲」に見えるこの人自身の愛らしさはここでも存分に覗けます。前はイヤミっぽい、とは書きましたけど、あの悲愴な部分もこの人なりの精一杯のおどけだったのかもなあ、と意見転換。それにしても六人組で一番かわいがりたくなるのは間違いなくこの人。いや一番好きなのはミヨーだけど。プーランクも初コンタクトだけど良かったなー。

とにかく名盤なんで、見かけたら是非。入手は容易だと思います。
2009 
September 27
4156MDW4VZL._SL500_AA240_.jpg アルテ・ノヴァの「1920年代のピアノ協奏曲集」を聞く。ピアニストのMichael Rischeは地味に堅実に、でもどこか瀟洒に引いてくれる。いわゆる知的なアプローチってやつに分類されるのだろうか。オーケストラも演奏良し。録音もばっちりです。なんとなく黒ーいイメージのある企画盤ですが、これは良盤でした。

しょっぱなを飾るのはアンセイル(またはアンタイルともいうらしい)とかいうアメリカ人作曲家。「誰だよ」と言ったら負けですか。「バレエ・メカニーク」が有名らしい。広辞苑・ジーニアスには掲載されてなかった。リーダーズでそれなりに詳しく書いてるってことはマルティヌーとかマリピエロみたいな知名度だろか。ばらばらのモチーフを縦横無尽に駆け巡るような、アメリカンな多忙を極めた音楽でした。アメリカ的現代性のシンボル、ヴァレーズ的な音の混雑振りもところどころに散見されて、ゲンダイ無理解の私には「うにゃあ」ってなるところもあるにはありましたが、でも全体的に一つの信条に従うことなくぐいぐい進んでいく。こういう音楽を聞くとまず思い起こされるのがストラヴィンスキーで、彼の子供めいた好奇心、に似た何かを感じる。マイナーネームの割にはなかなか良曲でした。

次はコープランド。Naxosのブックレットでも悪評だったと紹介されていた彼のピアノ協奏曲はなかなか晦渋。アメリカンというより寧ろ六人組チック。「ビリー・ザ・キッド」の「ばこーん、ばかーん」テイストもどこへやら、現代音楽ではない別のベクトルの理解しづらさがあります。かといってアンセイルのような「バカじゃねーの」感がない。第一楽章はすこくきまじめ。序盤の金管からして真摯過ぎる。「ビリー・ザ・キッド」を聞くかぎりは弾けたタイプの人かなあとは思うのですが、意外とその精神性は真面目一徹なんじゃーないでしょうか。そんな人が洒落た音楽を書こうとするからさあ第二楽章は大変。半端なスウィングがヴァレーズ的な混雑感の上にのっかかって消化不良気味。あんまり好きになれません。まあ、このごちゃごちゃ具合がかえって現代アメリカンと言えば、頷けないこともないのですが。

オネゲル。ピアノとオーケストラのためのコンチェルティーノ。初体験です。六人組の一人でミヨーと並んで一番有名な人ですか。前から聞きたいと思っていたのですがなかなか安くて良さ気なCDが無くて困ってました。聞いてみれば六人組全開、サティの毒っ気を見事に継承したピアノ。それとなくあまったるーくてチープなオーケストラと、見事にフレンチモダンな音楽でした。大変おしゃれ。中間部の急激に悲愴な色合いを帯びるあたりもイヤミっぽい(笑)。しかしアホっぽさをアピールしているわりに、全体としては簡潔美の世界に入った音楽だと感じました。様式美でオネゲルは有名らしいのですが、「ああほんとだ」ってなりました。バカのくせに聡い。時計仕掛けを耳に当てて聴くような、童心に帰らされるような音楽です。そのあたりはアンセイルに似てる。六人組の音楽ってチープで子供じみていて、それでいてどこか懐かしい気がしてしまう。根幹はとてもきまじめな人達(まあきまじめにふざけるのが彼らのセオリーだったんでしょうが)だったんじゃないかなあと思います。とってもハッピーになる音楽です。良曲。

ラヴェル。以前にアルゲリッチ&アバドで聞いて「うげえ」ってなってそれ以来ラヴェル離れを引起させられたピアノ協奏曲に再チャレンジ。良い演奏でした。第一楽章のテンポ取りからして極めてクイック。アバド盤ではのろのろとださいテンポだったのが急激に締まってモダーンな音楽に。ピアノとオーケストラのバランスが難しそうな曲ですねー。Michael Rischeはほとんど裏方に回っている印象ですが、仕事自体はきっちり手堅くやっています。くるくるくるくる回るような音楽で、さすがにその楽しさは上記三名ではちょっと適いそうにない。プレストのポップさの素晴らしいこと。回る回る! ラヴェルって純然なエンターテイナーだなと改めて感じます。喚起される情景があるわけでもない、(この曲に限っては)神秘性があるわけでもない。ただただ純然にハッピーな旋律が流れ込んでくる。Michael Rischeも技巧をひけらかすよりは「おもろいっしょ」みたいなスタンスで笑わせてくれる。ラヴェルってそういうエンターテイナー的な側面を物凄く強く持ち合わせてたと思うんですよね、何か。通俗的と言ってもいい。アバドの失敗しているのは室内楽ばりの神秘的な、神がかったようなピアノ協奏曲を目指しているあたりにあるんでしょうか。こんな風にざっくばらんにポップに演奏してくれた方が個人的にはとっても好感が持てます。ラヴェルって通俗の美、通俗の偉大さに常に着目し続けた作家だと思ったり。  名盤でした。特にアンセイルはマイナーネームの割に良かったですね。続編も出ているらしいですので、機会があればそっちも買いたいなあと思います。
2009 
September 27
日記です。音楽と小説だけがテーマです。









 
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