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  <title>雑記する</title>
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  <description>雑録です。</description>
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    <title>2010年6月のナクソスで買ったものをレビューしてみた</title>
    <description>
    <![CDATA[　今月のナクソスは室内楽に思わぬ掘り出し物が。<br />
<br />
○タネーエフ「交響曲第二番／第四番」（ノヴォシビルスク・アカテミック・オーケストラ／トマス・ザンデルリンク）<br />
作曲者はチャイコフスキーに師事。作曲家よりも俄然教育者として有名で、スクリャービン、ラフマニノフ、プロコフィエフと綺羅星のように素晴らしい音楽家を輩出しました。そんな彼の作風はそのまんまチャイコフスキーに叙情性にブラームスを放り込んだようなカチカチ熱血ロシアン系。作風としては保守的だけど、教育者としては革新的な人材を輩出した、というあたりにはマスネーやダンディと一緒。こんな人、どこの国にも一人は居るもんですな（そして皆素晴らしい）。<br />
さて交響曲、有名な第四番よりかは第二番を面白く聞きました（どうも金管が重要らしい四番、この曲をやるには少々オケが力不足です）。特に第一楽章のホルンは圧巻！　びっくりするほど正統派熱血ロシア系メロディー。「うおおおおおおおおおおおお！」って感じのマッシブ交響曲。ええ感じです。古臭くてもやっぱりロシア演歌はいいですなあ。<br />
演奏は第一番＆第三番でかなり透明度の高いソノリティを見せつけたノヴォシビルスク・アカデミー響。「どうみてもナクソスのB級ロシアオケなのに&hellip;&hellip;くやしい&hellip;&hellip;！」と歯がゆい思いをしてましたらとうとうぼろを出しましたよ。今回の録音は技師さんとともに一変。ぼろが見えたのは弦と金管。ナクソス・オケ特有の薄っぺらい弦で奮闘する様にもうたまらん。金管も無骨なソノリティで、ロジカルなタネーエフの曲をやるには少々熱過ぎなきらいも。第三番の演奏が素晴らしかっただけに期待しましたが、まあこんなものか、となんだかさみしい安心。しかしここでも指揮のザンデルリンクさんが素晴らしい。お名前でまさかと思いましたがブックレットを見ますとクルト・ザンデルリンクの本物の息子さんでびっくり。2.5流のオケで大奮闘。熱演です。ぺらっぺらの弦楽を武骨なロシア訛りに大変身させる手腕に感心。お顔そのまんまでお硬い曲に強いようです（ブリリアント・クラシックスにマニャールの交響曲全集もあるとか）。<br />
<br />
○ヴォーン・ウィリアムズ「我らに平和を／聖なる市民」（ボーンマス響／バッハ合唱団／デイヴィッド・ヒル）<br />
ナクソスのイギリスオケの中でも屈指のB級ぶりを誇るボーンマス響。そんなこのオケが今まで妙に高い評価を受けている理由がイマイチ解らなかったのですが、ここにきてようやく解りました。その最大の理由は助演の上手さ。オケ単体としては正直かなり微妙な演奏の多いボーンマス響ですが、助演に回ると途端に素晴らしいアシスタントに。音色が大らかなのが幸いしているんでしょうな。名前が妙にビッグなバッハ合唱団も意外や意外悪くない。一昔前のナクソスの合唱などお笑い草だったのに、最近の進歩は著しいですな。ただしバリトンのソリストは田舎臭く、なんかひなびた田舎の眠いミサみたい&hellip;&hellip;。さてそんな演奏陣が送るのは、イギリス音楽のおやびんRVWの宗教音楽。極めて通俗的で、正直ちょっと物足りない管弦楽の作品も多数ある一方で、美麗極まりない室内楽もちらほら。当たり外れの大きい人です。さてそんな彼の宗教音楽はといえば、これは見事なまでの当たり。「我らに平和を」はハードな熱唱系でちと胃もたれしますが、「聖なる市民」はいいですよ。ひたすらに穏やか。フォーレのレクイエムをもうちょっと厳格に輪郭取ったらこんな感じか。件のレクイエムはまさしく天国での安息を求めた、平和を志向する歌でしたけれど、この曲はまさしくタイトルそのまんま。詩的なタイトルと相まってヴォーン・ウィリアムズのおいしいところを聞ける名曲です。<br />
<br />
○シュルホフ「弦楽四重奏曲第一番／五つの小品／弦楽四重奏曲第二番」（アヴィヴQ）<br />
もっぱら「ジャズ風に」ばかりが取り上げられるシュルホフさん。気になってたので買ってみますと、これが当たりでございました。まず演奏陣が素敵。ナクソスの弦楽四重奏といえばピッチヨレヨレだけど熱気で何とか聴かせるレベルの団体が多く、マッジーニ四重奏団やファイン・アーツ四重奏団が良い例（後ろのフランクの弦楽四重奏曲に到っては、老練というよりは老いぼれな音色でして&hellip;&hellip;）。ところがですねえ&hellip;&hellip;物事には例外というものがあるんですな。演奏団体のアヴィヴ四重奏団は初耳でしたが、それも道理。ホフマイスターとかいう怪しさ満点のC級作曲家の弦楽四重奏を一度ナクソスに録音したっきりで、同社とはまったくの疎遠。もっぱら正規盤の会社ばかりをお相手したばかりらしく、ショスタコーヴィチがお得意とか。なるほど、と思わず頷きたくなるその音色はモダンでシュルホフにピッタリ。技術も正確色気もたっぷり。まず聞き物なのは色んな音楽をつまみ食いした分裂的・コスモポリタルな「五つの小品」。「タンゴ・ミロンガ風に」なんて、ストラヴィンスキーのチープなタンゴを思わせる程お洒落。それでいて所々東欧系のやさぐれトーンが響いてくるのが魅力的です（このまま映画にでも使えそう）。これの成功に気を良くしたシュルホフさんが次に手がけたのが弦楽四重奏曲第一番。意外や意外、この曲はモロ・バルトークです。彼の穏健でアメリカニズム入ったときの管弦楽をそのまま弦に移し替えたような作品で、第一楽章なんてとても退廃音楽の作曲家とはとても思えない程古典的で親しみやすい正統派です。そんな彼のハードな面が聞けるのは第四楽章で青髯の城主も顔負けなぐらいノリノリで、切れちゃったときのマリピエロの弦楽四重奏曲みたい。マリピエロ風といえば第三楽章がそうなのが第二番。民俗的土俗的な第一番とはうって違い、「ジャズ風の」のブラックさはこちらで聴けます。ひたすらにウネウネと迷路を彷徨うような音楽、なるほどショスタコ好きの団体がこんなに愉しげに演奏するわけです。どの曲も当たりで、シンフォニックな響きがひたすらに心地よいです。今月一番当たりなのは多分これでしょう。それにしてもこの団体いいですなあ。弦楽器四本でまさかこんなに厚い響きを放てるとは思っても見ませんでした。ルーセルの室内楽とか録音してくれないかなあ&hellip;&hellip;。<br />
<br />
○グラナドス「ピアノ三重奏曲／ピアノ五重奏曲ト短調／ゴィエスカスより間奏曲」（ロムピアノ三重奏団）<br />
ヴァイオリン・ソナタや「星々の歌」など、思わぬ傑作の多いグラナドスさん。これ見よがしのスペイン情緒を押し付けるのではなく、ひたすらにノーブルで儚げなメロディを歌う彼の音楽はまさにスペインのショパン。ピアノばかりが取り上げられる彼ですけれど、室内楽も素晴らしいったらありゃしない！　さて期待にわくわくしながら聴いてみますとこれが当たりなんだから世の中おいしいもんです。果たして彼のピアノ三重奏曲は全ぬるい系クラシックファンが諸手を上げて喜べそうな穏健な作品で、第２楽章のポエティックぷりが溜まりません。キラキラが横溢する彼の作品はやっぱり普通ではない。適度にこなれたロマンティシズムが心地よいことこの上ない素晴らしい作品です。それと比べるとピアノ五重奏曲はややハード。フランクの晦渋なそれを思わせるものがありますが、とはいえ所々に顔を見せる歌心たっぷりのメロディが胸に染みます。とりわけ異邦人風味の第二楽章なんて泣かせること泣かせること。長生きしてたらさらに素敵な音楽を書いていたんでしょうなあ&hellip;&hellip;。さてそんな文句の付けようのない本盤にも文句の付け所が。一つ目はもちろん演奏。ロムピアノ三十奏団そのものは質朴なピアノ共々悪くないです。やはり技術は不正確な所が多々ありますけれど、それでもローカルらしい大らかな連携を見せてくれて好印象。問題なのはやはり五重奏曲の方ですが。訳のわからん全く無縁の人間を二人引き連れてきて「はい楽団です」ってそりゃ詐欺だろナクソスさん。ピアノの陰影がとにかく美しいだけに、弦楽がやや格落ちなのは、まあ不可抗力ですかね。ピアノさえ良ければまあいいだろ！　と言わんばかりの男気溢れ過ぎる演奏です。それとも私に五重奏を聞くだけの力量がないからか&hellip;&hellip;。もう一つの文句は「ゴイェスカス」の間奏曲ですか。他人の編曲ということではなから全く期待しておりませんでしたが、これがまたおっそろしくショボショボ。出だし三十秒のピアノでグラナドスさんとの才気の開きは明瞭。ピアノの素敵じゃないグラナドスさんなんてグラナドスじゃない！　ただのリズム打ち扱いじゃねーか！　と文句は尽きませんこの編曲（曲自体も正直スペイン色が濃過ぎて、ちょっと&hellip;&hellip;）。とはいえピアノ三重奏曲はなかなかの出来栄えですのでオススメ。この調子でグラナドスさんの室内楽シリーズ続けてほしいなあ&hellip;&hellip;。<br />]]>
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    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Sun, 27 Jun 2010 14:11:20 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>Ralph Vaughan Williams: Piano Concertos</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="//crystallization.kakuren-bo.com/File/dc359c78.jpg" target="_blank"><img border="0" align="left" src="//crystallization.kakuren-bo.com/Img/1265697752/" alt="dc359c78.jpg" /></a>　「ファーストコンタクトは協奏曲が一番」がセオリーだったのですが、この盤に限っては大外れ。「ジャッドならやってくれる」（そういやジャッドの顔初めて見た）も「ろいやる&hellip;&hellip;りゔぁぷーる&hellip;&hellip;？」な寡聞にして聞いたことねー低体温なオケでイマイチ盛り上がらない。加えて曲目が微妙。「ピアノ協奏曲」は手数の多さを自慢するばかりのピアノ（ブリッジのピアノ・トリオでも登場しているらしいです。例によって知りません）でげんなり、イギリス音楽特有の穏健なモダニズムが単なる小手先自慢のスノビズム化。ジャッドはバーンスタインの「不安の時代」も微妙だっただけに、躁鬱で豪快にかますキャラクターがコンチェルトでは合わないのかも。 <br />
吹奏楽が超有名な「イギリス民謡組曲」はオーケストレーションした途端に劇的な劣化。野外演奏を最初から念頭に置いていたのか、どう考えても吹奏楽向けの曲なだけに、びっくりするぐらいの「なんだかなあ&hellip;&hellip;」な劣化にげんなり。「ランニング・セット」は主題展開に「なんだかなあ&hellip;&hellip;」なものの、オーケストレーションの美味なアンダーソン程度に聞けるものの、別人が担当したならそりゃあ仕方ない。それでも構成面での素晴らしさはやっぱり有名人。おそらく「アイルランド組曲」はこのあたりを参考にしたのだと思うのですが、原曲との違いは素人の私にも歴然。 <br />
そんな微妙にアテの外れた本盤、当たりなのは「すずめばち」。最初からコンサート・ピース目的かと思われる序曲が分けても素晴らしい。お見事なオーケストレーションはそのまま、元々のちょっと俗っぽい筆致は明快で解りやすい作風に、加えていわゆる「穏健なモダニズム」のリリシズムがばっちり当てはまって「そうだよこれだよ！」な見事っぷり。序曲以外の情景描写もゲーム音楽チックに「わかりやすさ」に徹しすぎるきらいはありますが、さすがにイギリス音楽屈指の有名人だけあって、悪くないです。ジャッドの指揮もこっちは力が入っていていい感じ（過剰に通俗的な作品やコンチェルトでは途端にやる気がなくなるのか）。「ピアノ協奏曲」もスピードが早くなるとげんなりですが、緩楽章では全然悪くありません。いいです。  　<br />
<br />
（追記）その後彼の室内楽を（例によってNaxosで）買いましたが、「これが同一人物？」と言うほどの素晴らしい健筆振り。とてもアンダーソン顔負けの（悪い意味で）俗っぽい作品を書いていた人間とは思えません。うーん、詐欺だ。&nbsp;]]>
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    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Tue, 09 Feb 2010 06:43:43 GMT</pubDate>
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    <title>Naxos新譜チェック（2010年1月・2月）</title>
    <description>
    <![CDATA[　Naxos新譜から気になる奴をチェックすることにした。日記の更新度低過ぎるなあ。<br />
<br />
※○：興味本位　●：買うけど後回し　★：購入確定<br />
■Naxos/2010年一月<br />
<br />
○NAXOS-8.669022 : アダムズ「中国のニクソン」<br />
下手したらうちの人生を変えたかもしれないピアノ連弾「ハレルヤ・ジャンクション」のコンポーザー、ジョン・アダムズの代表的なオペラだそうです。ポストモダンオペラな雰囲気マックスみたいに言われてるけど、でもこういう現実の祝祭的な再現って逆に中世ぐらいのノリなんじゃあ&hellip;&hellip;。ストラヴィンスキーの新しい音楽がちょうどバーバリズムに入ったように、新規と古代は奇妙に繋がってたり、するのかもね。まあ、それはそれで面白い。後たぶん3枚CD3000円だから買うに買えない＾＾　指揮はマリン・オールソップ。端正ながらもやや淡泊な表現（とバルトークの「不思議なマンダリン」で判断したんだけど、どうだろう&hellip;&hellip;）にポストモダン歌劇が合うのか&hellip;&hellip;。クラスの優等生委員長体質のオールソップさん、たぶん生真面目に振ってくれそうです。生真面目すぎるというか何というか、万能型のコンダクターを目指してお勉強というのは解るのですが、もっと弾けてほしいかも。熱演タイプとは言えないです（とはいえ、件のバルトーク管弦楽作品集、「ハンガリーの風景」は見事な演奏でした。単純にねばちっこく、土臭いバルトークの作風に合わないだけかもしれない&hellip;&hellip;）。<br />
<br />
<font color="#0000ff">★NAXOS-8.570323：ルーセル：交響曲第1番「森の詩」Op.7/交響的前奏曲「復活」Op.4/劇音楽「眠りの精」Op.13</font><br />
購入確定。第三番・第四番ともに一曲か二曲は確実に当たるルーセルさん（前は三番が大当たり。後ろは全部大当たり。「組曲」の素晴らしいこと！　そっけないタイトルでも中身が素晴らしければ文句が出るわけありません）。今回は初期作品だからかタイトルがすてきすてき。演奏はおなじみドゥヌーブ/スコットランド王立管。個人的にRPOに匹敵するんじゃないかなあ、と思う程レベルもテンションも高いオーケストラに、ドゥヌーブの指揮が見事。期待します。箱盤化する気満々ですが、是非第四番もやってボックスにしてしまってください。<br />
<br />
●ヴォーン･ウィリアムズ：劇音楽「すずめばち」(アリストファネス組曲)/ピアノ協奏曲ハ調/イギリス民謡組曲(G.ジェイコブ編）/ランニング･セット<br />
イギリス音楽といえばこの人らしいが、小生悲しいことにそっちの音楽にいまいち手が出せてない（まともに楽しんでるのはブリッジぐらい）。ピアノ協奏曲はピアノ特有のリリカルさと適度な構成力の両方が要求される分野なだけに、個人的には聞きたい作家とのファーストコンタクトには一番だと思っています。カップリングの「すずめばち」と「イギリス民謡組曲」から察するに、穏健なモダニストなのかな。楽しみです。指揮がジェイムズ・ジャッドというのも期待度大。共感に富んだ指揮には好感が持てます。<br />
<br />
●イギリスのヴィオラ作品集：ブリス：ヴィオラ･ソナタ(1933)/ディーリアス：ヴァイオリン･ソナタ第3番〜L.ターティスによるヴィオラとピアノ編/ブリッジ：ヴィオラとピアノのための小品集/アレグロ･アパッショナート／セレナーデ/思い出／ゴンドリエラ／沈思せる人/ノルウェーの伝説／子守歌<br />
ブリスは気になるあいつだけど手が出せない状態、ブリッジは「春の始まり」「海」で個人的には大ヒットなものの、ディーリアスのトランスクリプションが蛇足くさい&hellip;&hellip;彼のヴァイオリン・ソナタ聞きたいんですけど、音源が古いんですよね。昔のNaxosは微妙に評判悪いだけに、不安&hellip;&hellip;。奏者は二人とも聞いたことないですが、まあ今のNaxosではそう外れはないでしょう。<br />
<font color="#0000ff"><br />
★フランク：弦楽四重奏曲ニ長調FWV9/ピアノ五重奏曲へ短調FWV7</font><br />
フォーレのピアノ五重奏曲で彼の魅力に気付かせてくれた、ファイン・アーツ＆クリスティーナ・オルツィス嬢が再登場。しかも今回はフランクと、こっちの気になる奴に見事に照準が。ファイン・アーツはシンパシーに富んだ熱演を、オルツィス女史は色彩的なピアノを、と演奏陣に不安はなさそうです。楽しみ。<br />
<br />
○タルレガ：ギター作品集<br />
「アルハンブラ宮殿の思い出」しか知らないタレガのギター作品集が出るそうです。没年が1909と意外とプレモダンな人。気が迷ったら買いにいきます。曲目を見るだけでいかにもあれっぽいのですが、ギター独奏のCD持ってないし、買ってみるのも悪くはないかもしんね。<br />
<br />
■Naxos/2010年2月<br />
<font color="#0000ff"><br />
★ヴァイオリン・ソナタ集/ラヴェル：ヴァイオリン・ソナタト長調/レスピーギ：ヴァイオリン・ソナタロ短調P.110/グラナドス：ヴァイオリン・ソナタ</font><br />
だからなんでグラナドスとか丁度聞きたい人とってくんの！　ありえん！　ラヴェルのVnソナタも未チェックなだけに、これはおそらく購入確定&hellip;&hellip;。レスピーギは若い作品番号からちょっと不安。もしかするとろまんろまんかもしんね。グラナドスは国民楽派のノリにロマンを混合といういつものあれ。まあでも、ラヴェルのVnソナタがあるし、二人とも気になる人だし&hellip;&hellip;買っちゃう。ヴァイオリンはロン・ティボー優勝の女傑だそうです。楽しみ。<br />
<br />
○メシアン：3つのメロディ/ハラウィ&mdash;&mdash;愛と死の歌<br />
メシアンといえば「トゥランガリア交響曲」と「前奏曲集」「カンテヨージャ」程度しか聞いてない私が、よりによって苦手な歌曲から入れるわけがない。しかも「愛」だの「死」だのが枕詞にくっつく「ハラウィ」なる怪しさ満点のタイトル。怖いですねえ。ちょっと買う勇気は出ません。<br />
<br />
○マリピエロ：交響曲第7番「カンツォーネ風」/1つのテンポによる交響曲/シンフォニア・ペル・アンティジェニーダ<br />
マリピエロの有名な交響曲集もとうとう第四番まで移行だそうです。ところが元板が悪名高いマルコ・ポーロな上に、録音が古く、正直手が出ないで居ます。なんだかすてきタイトルの連発に、Brilliant Classicsでの弦楽四重奏曲の健筆振りなど、魅かれる要素は十二分にあるのですが&hellip;&hellip;。加えて演奏のモスクワ管もNaxosで聞いた限り並のオーケストラ以上の仕事はばっちりやってくれるオーケストラな気がするのですが、正直なところ不安でやっぱり買う気は出ません。有名なんだけどなあ。欲しいんだけどなあ。ジャッドさんあたり、新録音していただけませんか？　]]>
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    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Mon, 11 Jan 2010 14:43:18 GMT</pubDate>
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    <title>&quot;Leroy Anderson : Orchestral Music 4&quot;(Naxos : 8.559381)</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="//crystallization.kakuren-bo.com/File/682de8f2.gif" target="_blank"><img border="0" align="left" src="//crystallization.kakuren-bo.com/Img/1262547582/" alt="682de8f2.gif" /></a>　「ドイツものは重くてだめ」に該当しつつ「じゃあふれんちだ」にもまあ該当しつつ「でもアメリカものもいいじゃん」「軽薄で通俗なのもいいじゃん」になってしまうこの知性の低さ（自分）。「ドイツものが嫌いで、好きなの何って聞かれてアンダーソンだなんて、ただのイージー・リスニング好きじゃん！」と言われても仕方ないこの切なさ。あげくの果てになけなしの銭をはたいて買ってしまうアンダーソン管弦楽作品集。誰かこれ止めろよ！　めっちゃいい曲満載だし、演奏陣も文句なし。BBC放送交響楽団は放送と銘打つだけあって耳に心地よい、聞き流しやすい音を提供してくれるうえに、指揮者のLeonard Slatkinが適度に熱演。文句の付けようがない。<br />
自分そもそもこの企画に吸い寄せられてしまったのは第三集の「76本のトロンボーン」が原因で、これを買うまではその妙に薄っぺらい感じのタイトル、無駄に多いトラックリストに、「うわあ、ダルそう」と偏見を抱いておりました。で買ったら今度ははまるはまる、一日「セレナード」をかけてた日もあったりなかったりでとうとう第一集にも第四集にも手を出しちまいましたちくしょうこのやろ。<br />
第四集ではアンダーソンの編曲者としての顔にスポットライトを当てるということで、作品はすべて編曲もの、原曲が存在するものとなっています。ところがこれがほぼすべて外れ無し。メロディメーカーでは必殺仕事人も真っ青のアンダーソン、オーケストレーションの見通しがさらに明瞭になってしまってはそりゃ文句の付けようがありません。<br />
まず三つの歌曲編曲集の泣かせること泣かせること。「忘れられし夢」「舞踏会の美女」「ブルー・タンゴ」&hellip;&hellip;古き良きアメリカのノスタルジックな情感といえば、やはりコープランドの音楽でしょうが、初期にはトゲトゲした作品の多かったコープランドと違って、初めから素直なベクトルのアンダーソンの音楽はやはりイージー・リスニング。特に「忘れられし夢」の泣かせること泣かせること&hellip;&hellip;久々に歌曲で良いなあと思えた曲です。「ブルー・タンゴ」は同一主題を幾度となく反復するあたりの退屈さはあるものの、「舞踏会の美女」がこれまた楽しいことこの上ない一曲。まさかオマケ程度に思っていた歌曲にはまるとは。<br />
「我が母校」は第三集で最も理解しがたかった「ハーバード・スケッチ」の編曲。原曲は見通しが付かず頭の痛い曲だったのですが、明快に整理されて非常にわかりやすい曲に。ただし冗談音楽風のエッセンスもそのまま残して、アンダーソン固有のユーモアは保たれています。終曲の「同窓会」が非常に楽しい。<br />
「荒れ野のバラ」はマグダウェルの同名の楽曲の編曲ですが、これがまた恐ろしく泣かせる曲です。抒情に入りはするけれども、オーケストレーション自体はシンプルでやはり聞きやすい。アンダーソンはオーケストレーションの明快さが他の作曲家に比べて際立っているなあ&hellip;&hellip;とあらためて感じました。それでいて空疎にならないのは、作曲者のメロディストとしての能力故かなあ、とか。やや手数の乏しく、オーケストレーションの色彩感を薄めて通俗的にしたディーリアス&hellip;&hellip;に近いのかなあ。<br />
「サマー・スカイズ」はやや凡長な印象を受けるものの、ガーシュウィンよりはるかに大らかで懐古的な曲調は、やはりどこか心に染み渡るものがあります。先程はディーリアスと記しましたが、こうしたアメリカ特有のナイーブさを織り交ぜた牧歌的な作品でのアンダーソンは本当に強い。都市のための音楽家といえばガーシュウィンが上がるのに対して、アンダーソンは地方のための音楽家のような側面があるのかもしれない（そしてそれこそが、彼をごく僅かの作品以外はほぼ演奏されない無名作家にならしめたのかもしれませんが&hellip;&hellip;）。<br />
「アイルランド組曲」「スコットランド組曲」は共に自身の過去の小品から編曲。ノリはほとんどメンデルスゾーンの「スコットランド」みたいなもので、ツアリズム的な側面を持っていると言えるかもしれないこの二曲。「アイルランド組曲」では「ミンストレル・ボーイ」と「緑が野に」で相変わらず弦の使い方が見事。ピッチカートの愛らしいこと。「夏の名残のバラ」はいつもの泣かせる系弦楽器独壇場。コルンゴルトも真っ青の直球泣かせ振りです（音の線は細いものの、ソリストはノリノリ）。「マローの道楽者」はやや騒がし過ぎる面があるものの、「別れたあの娘」では適度にキープされた快活さとユーモアが民謡調の曲想と相まって大変に聞きやすい。「スコットランド組曲」ではさらに牧歌的な面が強調され、ちょっと品のないイギリス音楽程度として楽しく聞けるのではないでしょうか（まさしくアメリカ人のスコットランド旅行、というところ）。<br />
素晴らしいのは「クリスマス・フェスティヴァル」。文句無しのコンサートピース。日本人にもお馴染の曲が山のように詰め込まれ、「きよしこの夜」から鈴が入ってオルガンにまで疾走していくあの快感は尋常じゃない。金管の最後の吠えっぷりもとんでもない。このあたり演奏陣の熱演振りも尋常ではないです。前述の二曲の組曲含め、ミニアチュールでばかり評価されがちなアンダーソンですが、こういった長尺の曲でも十二分にその実力を発揮してくるなあ&hellip;&hellip;という印象。特にこっちの曲は組曲にも増して色彩的にオーケストレーションが構築されてあって、聴いてて飽きることがまるでありません。<br />
斜に構えた意味での新古典主義者というより、アメリカのナイーブさがそのまま結びついた、純粋な「古き良きアメリカ」という古典を追及した人間なのかなあ&hellip;&hellip;とあらためて思います。六人組がキッチュさをもってしか通俗に歩み寄れなかったのを考えると、やっぱりアメリカ人とフランス人は違うなあ&hellip;&hellip;とも（プーランクはもっと素直な人間な気がしますが）。全体的に通俗的といえばそうなのですが、最低でもちょっと品性の無いディーリアス程度には聴けると思います。もうちょっと評価されんもんだろうか、アンダーソン。絶対いい作曲家だと思うんですけどねえ。通俗も（通俗という汚い言葉は実際似合わない音楽なので、ポピュラリティとかそっちの方が的確でしょうが）ここまで極めたら一つの芸術なんじゃないかもしんね。そう思うのは、私がこの手のポップス音楽に弱い、ただのイージー・リスニング好きなだけなのかも。&nbsp;]]>
    </description>
    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Sun, 03 Jan 2010 19:41:08 GMT</pubDate>
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    <title>ドーデ「アルルの女」</title>
    <description>
    <![CDATA[　何とも言難い滑稽さを伴った話だが、私はこの小説を読んで真っ先にカフカを思い出した。カフカなど、何年来読んでいないか。にもかかわらず、この小説から想起されたのは他でもない彼だった。<br />
奇妙な短編である。筋としては極めてありふれたものを採用している。短い。鮮烈ではあるものの、単なる優れた短編という域を出なそうなものである。にもかかわらず、「アルルの女」は誰もが耳にする名の一つとなった。もちろん、ビゼーの音楽も含めて、だ。だがビゼーは何故この小説にあれ程の音楽を付けたのだろうか（私がこの小説に手を付けた最大の理由でもある）。そしてこの数ページ程の小品に多くが魅かれるのか。<br />
おそらく、不可能性、なのだと思う。<br />
この小説の最大の奇妙さは、「アルルの女」というタイトルと中身の食い違いにある。小説内では主人公ジャンにばかりフィーチャーを当てているにもかかわらず、タイトルに彼を想起させる要素は一切含まれていない。それどころか「アルルの女」について書いている所と言えば、たった数ページの中に「ビロードとレースずくめのアルル娘」とこれだけだ。つまり、はなからこの小説は質感を伴った「アルルの女」という人間を拒否している。「ビロードとレースずくめのアルル娘」という表象の他は何ら設置されていない。彼女自身の言葉など勿論用意されていない。精々「あばずれ女」と一言罵るだけで、彼女についてはほとんど言及されない。<br />
それで思い出したのがカフカの「城」だった。<br />
カフカの文学が永遠に達成不可能な要素を含んでいるのは有名な話だ。「城」ならばそのタイトルそのまま、到達（解剖あるいは理解）不可能な権力が設置され、「審判」は「罪」そのものが到達不可能とされる。到達の成し得ぬ状況下で、対象をとりまくものが明らかになってくる。こうした峻厳な（ある意味でマゾヒスティックと言ってもいい）メソッドを採用することで、カフカは（最終的には）世界的な文学者となり得たのだ。<br />
「城」のウェストウェスト伯爵（何という名前だろう）の城の描写はこうだ。「横に伸びた構えで、少数の三階の建物と、ごちゃごちゃ立てこんだ低いたくさんの建物とかできていた」あの長さでこの短さは、異常と言っても文句は言われまい。異常である。はなから完全にシンボルとして取り扱うことを意図していたのだろう。<br />
同じメソッドを「アルルの女」は採用している。物言わぬ「ビロードとレースずくめのアルル娘」というこのフレーズの登場は、何もドーデが簡明な描写を好んだからではない。その直前の「星」なんて延々星の名前を物語って終わる（素晴らしく牧歌的で美しい作品なのだが）。これもカフカと同じで、初めから不可能性のシンボルとして設置する意図だったのだろう。伝聞の話だから、というのではない。<br />
だからこそ、カフカの「城」同様に、人はこの小説に魅かれ、ビゼーは音楽を書いた&mdash;&mdash;長ったらしい補足のエピソードまで付けて。人間は不可能性に魅了される生物である。もっとも、カフカの場合は音楽こそ書かれなかったが、彼を世界的な小説家にのし上げさせた。<br />
それにしても「城」が権力の不可能性であった一方で、「アルルの女」が恋愛対象としての不可能性を描いた、というのは何とも興味深い話だ。時代の変遷、なのだろうか。百姓のジャンがアルルの娘を手に出来なかった最大の原因は家族だ。「家のものたちは最初この関係を喜ばなかった。娘は浮気者とされていたし、その両親はこの国のものではなかったからだ」&hellip;&hellip;ジャンは最後まで嫌がる両親を気遣った末に自殺する。カフカ同様、ドーデはアルルの女への到達不可能性を描くことで、家族の超越が不可能であった時代性を示している（これは今でもかなりそうだが）。それは、城における権力の不気味さ同様に、家族であるということの一種の不気味さを無残にも浮き彫りにする。論理の飛躍もいいところだが、ドーデはこの作品で、「家族」という意識下の束縛を生む、封建制度への反感を示したのではないだろうか。不可能性はこのように、その時代ごとの問題を反映する能力がある（当然の話だが）。<br />
ドーデが自覚的であったかどうかは解らないが、私は不可能性は確実に意図されたものだと思う。「夕方になるとアルルのほうへ歩き出し、落日の光のなかに町のひょろ長い鐘楼のそびえたつのが見えるところまでまっすぐに歩いていった。そこまで来て彼は引き返した。けっしてそれより先には行かなかったのだ」&hellip;&hellip;「ひょろ長い」鐘楼に信仰の束縛の弱さを見出すのは深読みのしすぎだろうか。まさにアルルは到達出来ない「城」であり、それは家族という束縛からの解放の象徴であった。だからこの物語は「ビロードとレースずくめの女」ではなく「アルルの女」なのであり、真なる主人公は彼女よりもむしろ決して辿り着き得ぬ街アルルなのだ。自殺という解放への請願は、そのままアルルの解放と重なる。アルルとはまた、死でもある。<br />
「城」ならばこうだ。「村の大通りであるこの通りは、城のある山へは通じてはいなかった。通りはそこの近くへ通じているだけであり、次にまるでわざと曲がるように曲がってしまっていた。そして、城から遠ざかるわけではないのだが、近づきもしなかった。&hellip;&hellip;どこまでいっても終わろうとしないこの村の長さに彼は驚いてもいた」&hellip;&hellip;。意識的な引き返しではなく、もはや望もうとも辿り着き得ないその「城」は絶望感を増している。もはやここでは自殺という選択肢さえ無い。また死による解放を願うまでの苦痛を「城」はもたらしてはいないのだ。もはや「城」は死ではない（「審判」は死であったが）。このあたりに、家族という小宇宙による個別の人員支配を取りやめ、城という権力の表象で弱い苦痛を持ってして支配する、そのある意味での上手さを垣間見るような気がする。もっとも、それさえ崩壊する可能性は十分にありそうなものだが。]]>
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    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Thu, 10 Dec 2009 15:50:05 GMT</pubDate>
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    <title>Arte nova「1920年代のピアノ協奏曲集 Vol.2」</title>
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    <![CDATA[<a href="//crystallization.kakuren-bo.com/File/52f720e0.jpg" target="_blank"><img border="0" align="left" src="//crystallization.kakuren-bo.com/Img/1258034317/" alt="52f720e0.jpg" /></a>　第一巻聴いて二巻を聴かないわけにはいきません。そんなわけで二巻。<br />
アンタイルの次はシュルホフですかだから誰ですか、と。音楽聞き出してそう経たないもんだからさっぱり解らないですが、ダダ・シーンに影響を受けた音楽家らしい。先頭は彼のピアノ協奏曲。邦題は「ジャズ風に」という副題付き。怪しいなあと思いながら聞いていると、出だしは確かにダダっぽくて「うにゃあ」ってなりはしたのですが、ちょっと経つとアメリカ人顔負けの甘いメロディが。だからといって精神の弛緩には入らない。神秘と、それから飛びっきりの甘さと、何より怪しさ（笑）。調べてみるとチェコのユダヤ人作曲家で、ホロコーストのせいでお亡くなりになったとか。現代音楽の怪しさをばっちりバランス良く配分してるあたり、なかなかツボにはまるタイプの作曲家なんですが、勿体ない若死にだったなあ。東欧音楽の粘着質と現代音楽の神秘とが混ざりながらも、洒落っ気に富んでるあたり、マルティヌーなんかとは正反対ですよね。かなり民謡を排されてるイメージではあるんですけど、でもマルティヌーとは違って身体のある音楽、というイメージも強いかなあ。崩しては玩びの流動を積み重ねるのはマルティヌーに似てるし、確固たるイメージを持たせることを徹底的に拒否するようなのも彼そっくり。東欧音楽ってのは何でこんなに噛みにくいのか。でもスルメだ。それにしても怪しい。第二楽章の「ソステヌート、カデンツァ、アレグロ・エスプレシーヴォ、アラ・マルシア・マエストーソ」というおっとろしく長ったらしい指示からしてとんでもなく怪しい。マーチどこなんだ。第三楽章「アレグロ・アラ・ジャズ、アラ・ジンガーレスカ、テンポ・プリモ、プレスティッシモ」は現代音楽の「熱い」音楽ですね。パーカッションの炸裂気味が何よりとんでもない（演奏陣がまた超かっこいい）。中盤の異邦人めいたバイオリンもミステリアスというか、本当にどこまで行っても見えない音楽を書く。マルティヌーよりなまじ身体に馴染むだけに質が悪い！　バイオリンが退場すれば再び打楽器群が大暴れ。呪術的に、でもどこかジャジーに暴れ回ったオーケストラが最後には原始人の踊りさながら回りに回って終曲。呪術（ダダイズムなのか&hellip;&hellip;？）とジャズの混合という一見ゲテモノ風に見える曲の割には、なかなか聴いててエンターテイメントな曲でした。そういうキモカッコイイ現代音楽は好きだ。<br />
二番目はアンタイルのジャズ・シンフォニー。コープランドとガーシュウィンに大絶賛されたらしい割には全く目立たないアンタイルさん。代表作「バレエ・メカニーク」のピアノはコープランドがやったらしいですがそんなもの聞ける金なんてある訳もなく（ナクソスで一枚出てました）。仕事の締切に二年遅れた挙句の初演が（当時の）オール・ネグロ・オーケストラというところから既に曰く付き感はマックス（その間に一山当てたのが後述のガーシュウィンのピアノ協奏曲というわけです）。大穴博打当て作曲家って印象は拭えないですが、でもなかなか。中身は第一巻の「ピアノ協奏曲第一番」と同じで、アメリカ音楽特有の甘ったるさと六人組の無条件の（ぎらぎらと毒々しい）幸福感を混合させた感じ。ガーシュウィンはストラヴィンスキーとフランス人のフォロワー的な作品だと書いているらしいですが、まさしくそんな感じ。ミヨー初期の怪しさも混じってるのかなあ。そしてびっくりするぐらい「どこがジャズだよ！」な感も拭えません。同じような主題を幾度となく反復された挙句、ショスタコーヴィチばりのあやすぃ弦の使い方も「うぎゃあ」ってなる感じ。と思えば弱音器付きのトランペットはゴツク歌ってらっしゃって死ぬ程すてきだし、「いい加減にしろよ！」ってぐらいしつこく続くピアノと弦の裏打ちも何だか笑えてくる。そこにまた弦がちゃかしに入ってくる一方、ピアノはおっとろしくシリアスな顔付きで打鍵&hellip;&hellip;何ちゅう音楽だ。キチガイスレスレというか、成程そりゃガーシュウィンやコープランドみたいな解りやすさとはかけ離れまくり。コープランドのピアノ協奏曲なんてわかりやすいバカっぷりに徹してる分何も考えず「いえーい」と楽しめたりしますが、こいつあキチガイだぜ！　っていう。と思えばガーシュウィンのピアノ協奏曲から丸々引用されたり、お前はアメリカのショスタコーヴィチですか。これを知的と呼ぶべきかどうかは私には全く解りませんが、まあ愛すべきキチガイ作曲家とだけは。最後までガーシュウィンの主題をパロディするあたりもうどうしようもない。ただ盛大に笑える音楽という点では物凄く有用でしょうか（笑）。うーん、食えない奴です。ある程度エンターテイメントに徹してるシュルホフより「わかりやすさ」を装うお前の方がよっぽど怖いわ！　キチガイ一直線のヴァレーズよかよっぽど怖い人間が居たんだまったく。エンターテイメントとして楽しめるか否かと言えば、前出のピアノ協奏曲の方がよっぽど親しみやすいですね。こっちは毒っ気が強過ぎてなかなか&hellip;&hellip;。<br />
三人目はガーシュウィンの「ピアノ協奏曲」。最早何も言うことはあるまいタイプのアメリカ音楽です。個人的にはコープランドみたいな身体的な快楽を伴うリズムが無い分ちょっと味気ないタイプの人だったりはするのですが、さすがは初代アメリカ音楽家、アメリカ音楽の甘ったるさを惜しげもなく大放出。ピアノが歌ってすり寄ればオーケストラも陽気に爆裂。何より弦の甘ったるいことこの上無い。うーん、書くことがない&hellip;&hellip;。単純に楽しめる音楽ではあるんですけど、何か取っ掛かりがあるかと言えばそうでもない。「パリのアメリカ人」の妙に鼻につくおどけぶりがかなり取れて丸くなった分かなり聞きやすいし、実際そっちよりはるかに良い曲だとは思うんですが。演目としてもちょっとオマケの余芸程度って感じはします。アンタイルと違って真面目に同一主題を繰り返す辺りも身体的な興を感ずるには非常に面白いし、全体の諧謔としても大変ナチュラルでくすりと来る程度のこじゃれたもの。実際よく聞いてはいるんですが、いざ書くとなると本当に書くことのないのが残念ではある。第一楽章第二楽章はアレグロだから仕方ない、ならアダージョの第二楽章に何かあるかなと思ったらそうでもなく、ぬるーいジャズ調で攻めてくる、やわらかコープランド状態。うーん。ま、まじめな音楽だ&hellip;&hellip;としか。嫌いじゃないんですが。<br />
<br />
あ、後相変わらず演奏は極めて良好です。熱演です。微妙にオケ側のテンションの冷めた演奏の散見される一巻より遥かに熱い。ピアノ担当のリシェはその代わりガーシュウィンの演奏はなんかこう、商売でやってるような弾きっぷり。メジャーなガーシュウィンなんてやるぐらいならせめてストラヴィンスキーの「ラグタイム」ぐらいはやりたかったのかも。いや、いい曲なんですよ、ガーシュウィンの。でもバリュエーションの利かせた第一巻と違ってちょっと手放しには絶賛できないプログラムだったかなあ、というところ。でもファーストコンタクトのシュルホフは良かったです。後はアンタイルの目立たなかった理由もちょっと解る気がします。晦渋とか六人組的というだけならまだ皆解るんだけど、心地よい馬鹿さ、ということからはちょっとかけ離れる。どうしても鼻につくおどけぶり、たとえばミヨーやサティのような完全に演じ切ったおどけぶりからはちょっとベクトルの反れてしまう、厚かましいふざけ方が滲み出ているからでしょうか。愛すべきタイプとは思うのですが。うーん、ナクソスで一枚買うかどうかは、もうちょっと考えることにします。面白そうなんだけどなあ。<br />]]>
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    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Thu, 12 Nov 2009 13:59:24 GMT</pubDate>
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    <title>Denon「フレンチ・クラリネット・アート」</title>
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    <![CDATA[<a href="//crystallization.kakuren-bo.com/File/bc89e626.jpg" target="_blank"><img border="0" align="left" src="//crystallization.kakuren-bo.com/Img/1255876376/" alt="bc89e626.jpg" /></a><br />
<br />
サン＝サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーランク、オネゲル&hellip;&hellip;魅かれる名前が一つでもある人は手をあげなさい先生怒らないから状態の選曲がやば過ぎる、ポール・メイエのアルバムを買ってしまいました。入手しやすいCrest 1000というのもグッド。これで1000円とか&hellip;&hellip;価額破壊っていうかもう恐れ多いレベルっていうか&hellip;&hellip;。<br />
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ポール・メイエといえば誰もが知ってる世界的プレイヤーですが、最近は指揮にも手を出してるようで。吹奏楽やってる人ならご存知2009コンクールの参考演奏指揮でふにゃふにゃな指揮をやってたあのお方です。見てた誰もが「何だこいつ」って思うあの指揮のなんだかなあ感に比してこのアルバムは半端ない。<br />
<br />
繰り返す通り、まず選曲が半端ない。サン＝サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーランク、オネゲル&hellip;&hellip;ショーソンとプーランクはお初ながら、みんな好きだっていう&hellip;&hellip;フランス音楽垂涎もいい加減にしろっていう&hellip;&hellip;。奏者も半端無い。ポール・メイエの凄すぎるオールプレイヤーっぷり（サン＝サーンスとドビュッシーとオネゲルなんて組み合わせこの人ぐらいにしか出来ないんじゃなかろうか）と、それと「書く音楽」みたいな性質が心地よい。抒情よりは寧ろ叙述的だと思った。こんな形容を音楽にするのは初めてだけれど、まさしく叙述的な、書く音楽をする人だと思う。映画音楽に似た何かに、この人が吹いた途端に変わってしまう。それとクラリネット特有のか、それともこの人特有のか、どこかノスタルジックな響きも心地よい。相方のエリック・ルサージュも渋い。「あっしは相方ですから」と控えめ控えめ、でも堅実で丁寧なピアノが素晴らしい。<br />
<br />
一番目を飾るのはサン＝サーンスのソナタ。死の直前に三つの管楽器のソナタが書かれたのは有名な話ですが、何せ聞く機会が無いのでこれは嬉しい。第一楽章、第二楽章。死の直前であってもこの人の技巧の光輝は失われない。でも第三楽章のレントはちょっと別格。この人のどの曲にも見られないような絶望的な、暗澹とした細い嘆きが聞こえてくる。天才なのに天才として認められなかった人の、モーツァルトになり得なかった人の哀しさでしょうか。とても平易な曲調なだけにこの叫びは胸を打ちます。第四楽章は打って変わって超絶技巧。サン＝サーンスはなり得なかった天才の音楽をそれでも貫き通した人なんだなあ、と改めて思いました。私はそれでも天才なんだ、みたいな負け意地の強さがどこか根底に見えるような、でもその負け意地はどこか優しくなめらか。クラリネットのノスタルジックな輝きが満艦飾で鏤められた良曲だと思います。<br />
二番目はショーソン。「愛と海の詩」（それも名前だけ）だけしか知らないですが、これもなかなか歌心のある音楽。アンダンテがフォーレばりの典雅振り。アレグロからの勇ましいクラリネットが踊る踊る。ピアノの細やかな指使いもすごい。サン＝サーンスに増してロマン派の音楽ではあるのですが、所々単純にロマン派という枠組みでは抑え切れないような洒落た仕掛けも見えたりして、なかなか。<br />
三番目はドビュッシー。「小品」が二分足らずの作品の癖にこれが中々凄い。流動的なドビュッシーのオーケストレーションというのは中々苦手だったんですが、管弦楽だとイマジナティブなことこの上無い。楽器自体が遊泳するような音楽で、ドビュッシーの海を垣間見るような、瞬間的な美の溢れた逸品です。「ラプソディ第一番」も冒頭のピアノから頭蓋骨の裏側で滴が垂れてきそうな音楽。それも実に官能的な海辺。今にも空気に溶け切ってしまいそうな、その第一線をぎりぎりで踏み越えずにいるような愛しいもどかしさ。形成と柔らかな溶出を繰り返しては踊っていく。その戯れが愛しいことこの上ない。孤独で無為で、子供の時間そのものを集約したような、そんな柔らかな音楽です。ドビュッシーは本当に器楽曲で凄い。奏者二人の波打ち具合も凄いですよ。<br />
四番目ミヨー。ミヨーといえば「世界の想像」「屋根の上の牡牛」のカラフルでお洒落なオーケストレーションに、「男とその欲望」のようなおどろおどろしい呪術的要素に、「プロヴァンス組曲」の田園と一人で三粒も四粒も美味しい奴。私はその転がり具合が好きでたまらないのですが、どちらかと言えば前衛前衛した初期作品は苦手。「クラリネットとピアノのためのソネチネ」は作品100という番号が示す通りある程度初期作で、第一楽章と第三楽章のどす黒い、毒のあるフレーズがちょっと苦手。でも第二楽章の満たされない浮遊感はドビュッシー顔負けの流動振り。聞いているだけで世界の根元にまで潜り込んでしまいそうな、そのまま天上に吸い込まれてしまいそうな透明な内省に包まれていると、やっぱりこの人はおどけてるばかりの人じゃないよね、と思うところです。暴れるような、荒々しい叫び声に比しての静寂はもうお見事としか言い様がない。「クラリネットとピアノのためのデュオ・コンチェルト」「カプリス」は後期牧歌ミヨー大発揮。子供の秘密基地の無為さ、愛おしさとどことなく響いてくる寂しさに胸を打たれずにはいられません。この人もストラヴィンスキーと同じで（「ペトルーシュカ」の甘さ賑やかさなんてそれこそ子供時代の無為さに通うところがありませんか）、どこか子供っぽい人だったんじゃないだろうか、と思います。そういう子供っぽさが最後に響いてくる後期の作品がたまらなく好き。本当にたまらない。お行儀良く済ました子供が、突如そっと立ち上がって森に消えていく、木陰でくるくると誰にも見られずに舞踏の練習をしている、そんな情景を思い浮かべたり、とか。<br />
五番目プーランク、初めてのお立ち会いですがこれがなかなか凄い。本質的には生まじめもいい所なオネゲル、色彩感は極めて豊かだけれどどことなく田舎っぽさが脱け切らないミヨーに比するとプーランクの瀟洒振りは六人組随一でしょうか（デュレ、オーリック、タイユフェールを聞いたことがないので何とも言えないのですが）。オネゲルの死の追悼のために書かれたという「クラリネット・ソナタ」は、六人組特有のお洒落なおどけ方を見せながらも根幹は純粋な悲哀にあります。哀しそうに見せて実はそんなことないよ、という六人組の意地悪さはなくて、本当に人を弔うための音楽です。でもやっぱりお洒落なんだけど、お洒落な哀しみって本物の哀しみよりもっと深く心を抉る物がありませんか。哀しくともどこかお洒落でいてしまうその哀切振りの真摯さに、やっぱり六人組は生真面目な人達だなあと思ったり。だから第三楽章のモダン極まりない楽しい踊り方はむしろ第二第一よりよっぽど哀しく聞こえてしまう。オネゲルのサティ・トリビュートをそのままくみ取ったような舞踏が、この人の精一杯の手向けだったのかなあ、とか。優しい人だったんじゃないでしょうか、プーランク。何となくですが。<br />
一方弔われた側のオネゲルの「クラリネットとピアノのためのソネチネ」は六人組全開です。サティ・トリビュートでありながらもおどけきれずに生真面目になってしまうその可愛さはこの人からしか味わえない。第一楽章のモデラートは胡散臭さ全開のつもりが本当に怪しくてこそばゆい音楽、でもそこが可愛らしい。ピアノの踊りも見事です。第三楽章の飛んだり跳ねたりのリズムはプーランクとはまた違ったお洒落っぷり。どことなく男前なステップ。もっと明るく楽しく踊ればいいのに素直じゃない。「ピアノ小協奏曲」に見えるこの人自身の愛らしさはここでも存分に覗けます。前はイヤミっぽい、とは書きましたけど、あの悲愴な部分もこの人なりの精一杯のおどけだったのかもなあ、と意見転換。それにしても六人組で一番かわいがりたくなるのは間違いなくこの人。いや一番好きなのはミヨーだけど。プーランクも初コンタクトだけど良かったなー。<br />
<br />
とにかく名盤なんで、見かけたら是非。入手は容易だと思います。<br type="_moz" />]]>
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    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Sun, 18 Oct 2009 14:36:35 GMT</pubDate>
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    <title>ARTE NOVA 「1920年代のピアノ協奏曲集」</title>
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    <![CDATA[<a href="//crystallization.kakuren-bo.com/File/4156MDW4VZL._SL500_AA240_.jpg" target="_blank"><img border="0" align="left" src="//crystallization.kakuren-bo.com/Img/1254030494/" alt="4156MDW4VZL._SL500_AA240_.jpg" /></a>　アルテ・ノヴァの「1920年代のピアノ協奏曲集」を聞く。ピアニストのMichael Rischeは地味に堅実に、でもどこか瀟洒に引いてくれる。いわゆる知的なアプローチってやつに分類されるのだろうか。オーケストラも演奏良し。録音もばっちりです。なんとなく黒ーいイメージのある企画盤ですが、これは良盤でした。 <br />
<br />
しょっぱなを飾るのはアンセイル（またはアンタイルともいうらしい）とかいうアメリカ人作曲家。「誰だよ」と言ったら負けですか。「バレエ・メカニーク」が有名らしい。広辞苑・ジーニアスには掲載されてなかった。リーダーズでそれなりに詳しく書いてるってことはマルティヌーとかマリピエロみたいな知名度だろか。ばらばらのモチーフを縦横無尽に駆け巡るような、アメリカンな多忙を極めた音楽でした。アメリカ的現代性のシンボル、ヴァレーズ的な音の混雑振りもところどころに散見されて、ゲンダイ無理解の私には「うにゃあ」ってなるところもあるにはありましたが、でも全体的に一つの信条に従うことなくぐいぐい進んでいく。こういう音楽を聞くとまず思い起こされるのがストラヴィンスキーで、彼の子供めいた好奇心、に似た何かを感じる。マイナーネームの割にはなかなか良曲でした。<br />
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次はコープランド。Naxosのブックレットでも悪評だったと紹介されていた彼のピアノ協奏曲はなかなか晦渋。アメリカンというより寧ろ六人組チック。「ビリー・ザ・キッド」の「ばこーん、ばかーん」テイストもどこへやら、現代音楽ではない別のベクトルの理解しづらさがあります。かといってアンセイルのような「バカじゃねーの」感がない。第一楽章はすこくきまじめ。序盤の金管からして真摯過ぎる。「ビリー・ザ・キッド」を聞くかぎりは弾けたタイプの人かなあとは思うのですが、意外とその精神性は真面目一徹なんじゃーないでしょうか。そんな人が洒落た音楽を書こうとするからさあ第二楽章は大変。半端なスウィングがヴァレーズ的な混雑感の上にのっかかって消化不良気味。あんまり好きになれません。まあ、このごちゃごちゃ具合がかえって現代アメリカンと言えば、頷けないこともないのですが。 <br />
<br />
オネゲル。ピアノとオーケストラのためのコンチェルティーノ。初体験です。六人組の一人でミヨーと並んで一番有名な人ですか。前から聞きたいと思っていたのですがなかなか安くて良さ気なCDが無くて困ってました。聞いてみれば六人組全開、サティの毒っ気を見事に継承したピアノ。それとなくあまったるーくてチープなオーケストラと、見事にフレンチモダンな音楽でした。大変おしゃれ。中間部の急激に悲愴な色合いを帯びるあたりもイヤミっぽい（笑）。しかしアホっぽさをアピールしているわりに、全体としては簡潔美の世界に入った音楽だと感じました。様式美でオネゲルは有名らしいのですが、「ああほんとだ」ってなりました。バカのくせに聡い。時計仕掛けを耳に当てて聴くような、童心に帰らされるような音楽です。そのあたりはアンセイルに似てる。六人組の音楽ってチープで子供じみていて、それでいてどこか懐かしい気がしてしまう。根幹はとてもきまじめな人達（まあきまじめにふざけるのが彼らのセオリーだったんでしょうが）だったんじゃないかなあと思います。とってもハッピーになる音楽です。良曲。 <br />
<br />
ラヴェル。以前にアルゲリッチ＆アバドで聞いて「うげえ」ってなってそれ以来ラヴェル離れを引起させられたピアノ協奏曲に再チャレンジ。良い演奏でした。第一楽章のテンポ取りからして極めてクイック。アバド盤ではのろのろとださいテンポだったのが急激に締まってモダーンな音楽に。ピアノとオーケストラのバランスが難しそうな曲ですねー。Michael Rischeはほとんど裏方に回っている印象ですが、仕事自体はきっちり手堅くやっています。くるくるくるくる回るような音楽で、さすがにその楽しさは上記三名ではちょっと適いそうにない。プレストのポップさの素晴らしいこと。回る回る！　ラヴェルって純然なエンターテイナーだなと改めて感じます。喚起される情景があるわけでもない、（この曲に限っては）神秘性があるわけでもない。ただただ純然にハッピーな旋律が流れ込んでくる。Michael Rischeも技巧をひけらかすよりは「おもろいっしょ」みたいなスタンスで笑わせてくれる。ラヴェルってそういうエンターテイナー的な側面を物凄く強く持ち合わせてたと思うんですよね、何か。通俗的と言ってもいい。アバドの失敗しているのは室内楽ばりの神秘的な、神がかったようなピアノ協奏曲を目指しているあたりにあるんでしょうか。こんな風にざっくばらんにポップに演奏してくれた方が個人的にはとっても好感が持てます。ラヴェルって通俗の美、通俗の偉大さに常に着目し続けた作家だと思ったり。  　名盤でした。特にアンセイルはマイナーネームの割に良かったですね。続編も出ているらしいですので、機会があればそっちも買いたいなあと思います。]]>
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    <pubDate>Sun, 27 Sep 2009 05:49:29 GMT</pubDate>
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    <title>日記です</title>
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    <![CDATA[日記です。音楽と小説だけがテーマです。<br />
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    <category>雑記する</category>
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    <pubDate>Sun, 27 Sep 2009 05:04:51 GMT</pubDate>
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