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2010 
January 04
682de8f2.gif 「ドイツものは重くてだめ」に該当しつつ「じゃあふれんちだ」にもまあ該当しつつ「でもアメリカものもいいじゃん」「軽薄で通俗なのもいいじゃん」になってしまうこの知性の低さ(自分)。「ドイツものが嫌いで、好きなの何って聞かれてアンダーソンだなんて、ただのイージー・リスニング好きじゃん!」と言われても仕方ないこの切なさ。あげくの果てになけなしの銭をはたいて買ってしまうアンダーソン管弦楽作品集。誰かこれ止めろよ! めっちゃいい曲満載だし、演奏陣も文句なし。BBC放送交響楽団は放送と銘打つだけあって耳に心地よい、聞き流しやすい音を提供してくれるうえに、指揮者のLeonard Slatkinが適度に熱演。文句の付けようがない。
自分そもそもこの企画に吸い寄せられてしまったのは第三集の「76本のトロンボーン」が原因で、これを買うまではその妙に薄っぺらい感じのタイトル、無駄に多いトラックリストに、「うわあ、ダルそう」と偏見を抱いておりました。で買ったら今度ははまるはまる、一日「セレナード」をかけてた日もあったりなかったりでとうとう第一集にも第四集にも手を出しちまいましたちくしょうこのやろ。
第四集ではアンダーソンの編曲者としての顔にスポットライトを当てるということで、作品はすべて編曲もの、原曲が存在するものとなっています。ところがこれがほぼすべて外れ無し。メロディメーカーでは必殺仕事人も真っ青のアンダーソン、オーケストレーションの見通しがさらに明瞭になってしまってはそりゃ文句の付けようがありません。
まず三つの歌曲編曲集の泣かせること泣かせること。「忘れられし夢」「舞踏会の美女」「ブルー・タンゴ」……古き良きアメリカのノスタルジックな情感といえば、やはりコープランドの音楽でしょうが、初期にはトゲトゲした作品の多かったコープランドと違って、初めから素直なベクトルのアンダーソンの音楽はやはりイージー・リスニング。特に「忘れられし夢」の泣かせること泣かせること……久々に歌曲で良いなあと思えた曲です。「ブルー・タンゴ」は同一主題を幾度となく反復するあたりの退屈さはあるものの、「舞踏会の美女」がこれまた楽しいことこの上ない一曲。まさかオマケ程度に思っていた歌曲にはまるとは。
「我が母校」は第三集で最も理解しがたかった「ハーバード・スケッチ」の編曲。原曲は見通しが付かず頭の痛い曲だったのですが、明快に整理されて非常にわかりやすい曲に。ただし冗談音楽風のエッセンスもそのまま残して、アンダーソン固有のユーモアは保たれています。終曲の「同窓会」が非常に楽しい。
「荒れ野のバラ」はマグダウェルの同名の楽曲の編曲ですが、これがまた恐ろしく泣かせる曲です。抒情に入りはするけれども、オーケストレーション自体はシンプルでやはり聞きやすい。アンダーソンはオーケストレーションの明快さが他の作曲家に比べて際立っているなあ……とあらためて感じました。それでいて空疎にならないのは、作曲者のメロディストとしての能力故かなあ、とか。やや手数の乏しく、オーケストレーションの色彩感を薄めて通俗的にしたディーリアス……に近いのかなあ。
「サマー・スカイズ」はやや凡長な印象を受けるものの、ガーシュウィンよりはるかに大らかで懐古的な曲調は、やはりどこか心に染み渡るものがあります。先程はディーリアスと記しましたが、こうしたアメリカ特有のナイーブさを織り交ぜた牧歌的な作品でのアンダーソンは本当に強い。都市のための音楽家といえばガーシュウィンが上がるのに対して、アンダーソンは地方のための音楽家のような側面があるのかもしれない(そしてそれこそが、彼をごく僅かの作品以外はほぼ演奏されない無名作家にならしめたのかもしれませんが……)。
「アイルランド組曲」「スコットランド組曲」は共に自身の過去の小品から編曲。ノリはほとんどメンデルスゾーンの「スコットランド」みたいなもので、ツアリズム的な側面を持っていると言えるかもしれないこの二曲。「アイルランド組曲」では「ミンストレル・ボーイ」と「緑が野に」で相変わらず弦の使い方が見事。ピッチカートの愛らしいこと。「夏の名残のバラ」はいつもの泣かせる系弦楽器独壇場。コルンゴルトも真っ青の直球泣かせ振りです(音の線は細いものの、ソリストはノリノリ)。「マローの道楽者」はやや騒がし過ぎる面があるものの、「別れたあの娘」では適度にキープされた快活さとユーモアが民謡調の曲想と相まって大変に聞きやすい。「スコットランド組曲」ではさらに牧歌的な面が強調され、ちょっと品のないイギリス音楽程度として楽しく聞けるのではないでしょうか(まさしくアメリカ人のスコットランド旅行、というところ)。
素晴らしいのは「クリスマス・フェスティヴァル」。文句無しのコンサートピース。日本人にもお馴染の曲が山のように詰め込まれ、「きよしこの夜」から鈴が入ってオルガンにまで疾走していくあの快感は尋常じゃない。金管の最後の吠えっぷりもとんでもない。このあたり演奏陣の熱演振りも尋常ではないです。前述の二曲の組曲含め、ミニアチュールでばかり評価されがちなアンダーソンですが、こういった長尺の曲でも十二分にその実力を発揮してくるなあ……という印象。特にこっちの曲は組曲にも増して色彩的にオーケストレーションが構築されてあって、聴いてて飽きることがまるでありません。
斜に構えた意味での新古典主義者というより、アメリカのナイーブさがそのまま結びついた、純粋な「古き良きアメリカ」という古典を追及した人間なのかなあ……とあらためて思います。六人組がキッチュさをもってしか通俗に歩み寄れなかったのを考えると、やっぱりアメリカ人とフランス人は違うなあ……とも(プーランクはもっと素直な人間な気がしますが)。全体的に通俗的といえばそうなのですが、最低でもちょっと品性の無いディーリアス程度には聴けると思います。もうちょっと評価されんもんだろうか、アンダーソン。絶対いい作曲家だと思うんですけどねえ。通俗も(通俗という汚い言葉は実際似合わない音楽なので、ポピュラリティとかそっちの方が的確でしょうが)ここまで極めたら一つの芸術なんじゃないかもしんね。そう思うのは、私がこの手のポップス音楽に弱い、ただのイージー・リスニング好きなだけなのかも。 
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