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雑録です。

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2017 
September 23
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2009 
October 18
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サン=サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーランク、オネゲル……魅かれる名前が一つでもある人は手をあげなさい先生怒らないから状態の選曲がやば過ぎる、ポール・メイエのアルバムを買ってしまいました。入手しやすいCrest 1000というのもグッド。これで1000円とか……価額破壊っていうかもう恐れ多いレベルっていうか……。

ポール・メイエといえば誰もが知ってる世界的プレイヤーですが、最近は指揮にも手を出してるようで。吹奏楽やってる人ならご存知2009コンクールの参考演奏指揮でふにゃふにゃな指揮をやってたあのお方です。見てた誰もが「何だこいつ」って思うあの指揮のなんだかなあ感に比してこのアルバムは半端ない。

繰り返す通り、まず選曲が半端ない。サン=サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーランク、オネゲル……ショーソンとプーランクはお初ながら、みんな好きだっていう……フランス音楽垂涎もいい加減にしろっていう……。奏者も半端無い。ポール・メイエの凄すぎるオールプレイヤーっぷり(サン=サーンスとドビュッシーとオネゲルなんて組み合わせこの人ぐらいにしか出来ないんじゃなかろうか)と、それと「書く音楽」みたいな性質が心地よい。抒情よりは寧ろ叙述的だと思った。こんな形容を音楽にするのは初めてだけれど、まさしく叙述的な、書く音楽をする人だと思う。映画音楽に似た何かに、この人が吹いた途端に変わってしまう。それとクラリネット特有のか、それともこの人特有のか、どこかノスタルジックな響きも心地よい。相方のエリック・ルサージュも渋い。「あっしは相方ですから」と控えめ控えめ、でも堅実で丁寧なピアノが素晴らしい。

一番目を飾るのはサン=サーンスのソナタ。死の直前に三つの管楽器のソナタが書かれたのは有名な話ですが、何せ聞く機会が無いのでこれは嬉しい。第一楽章、第二楽章。死の直前であってもこの人の技巧の光輝は失われない。でも第三楽章のレントはちょっと別格。この人のどの曲にも見られないような絶望的な、暗澹とした細い嘆きが聞こえてくる。天才なのに天才として認められなかった人の、モーツァルトになり得なかった人の哀しさでしょうか。とても平易な曲調なだけにこの叫びは胸を打ちます。第四楽章は打って変わって超絶技巧。サン=サーンスはなり得なかった天才の音楽をそれでも貫き通した人なんだなあ、と改めて思いました。私はそれでも天才なんだ、みたいな負け意地の強さがどこか根底に見えるような、でもその負け意地はどこか優しくなめらか。クラリネットのノスタルジックな輝きが満艦飾で鏤められた良曲だと思います。
二番目はショーソン。「愛と海の詩」(それも名前だけ)だけしか知らないですが、これもなかなか歌心のある音楽。アンダンテがフォーレばりの典雅振り。アレグロからの勇ましいクラリネットが踊る踊る。ピアノの細やかな指使いもすごい。サン=サーンスに増してロマン派の音楽ではあるのですが、所々単純にロマン派という枠組みでは抑え切れないような洒落た仕掛けも見えたりして、なかなか。
三番目はドビュッシー。「小品」が二分足らずの作品の癖にこれが中々凄い。流動的なドビュッシーのオーケストレーションというのは中々苦手だったんですが、管弦楽だとイマジナティブなことこの上無い。楽器自体が遊泳するような音楽で、ドビュッシーの海を垣間見るような、瞬間的な美の溢れた逸品です。「ラプソディ第一番」も冒頭のピアノから頭蓋骨の裏側で滴が垂れてきそうな音楽。それも実に官能的な海辺。今にも空気に溶け切ってしまいそうな、その第一線をぎりぎりで踏み越えずにいるような愛しいもどかしさ。形成と柔らかな溶出を繰り返しては踊っていく。その戯れが愛しいことこの上ない。孤独で無為で、子供の時間そのものを集約したような、そんな柔らかな音楽です。ドビュッシーは本当に器楽曲で凄い。奏者二人の波打ち具合も凄いですよ。
四番目ミヨー。ミヨーといえば「世界の想像」「屋根の上の牡牛」のカラフルでお洒落なオーケストレーションに、「男とその欲望」のようなおどろおどろしい呪術的要素に、「プロヴァンス組曲」の田園と一人で三粒も四粒も美味しい奴。私はその転がり具合が好きでたまらないのですが、どちらかと言えば前衛前衛した初期作品は苦手。「クラリネットとピアノのためのソネチネ」は作品100という番号が示す通りある程度初期作で、第一楽章と第三楽章のどす黒い、毒のあるフレーズがちょっと苦手。でも第二楽章の満たされない浮遊感はドビュッシー顔負けの流動振り。聞いているだけで世界の根元にまで潜り込んでしまいそうな、そのまま天上に吸い込まれてしまいそうな透明な内省に包まれていると、やっぱりこの人はおどけてるばかりの人じゃないよね、と思うところです。暴れるような、荒々しい叫び声に比しての静寂はもうお見事としか言い様がない。「クラリネットとピアノのためのデュオ・コンチェルト」「カプリス」は後期牧歌ミヨー大発揮。子供の秘密基地の無為さ、愛おしさとどことなく響いてくる寂しさに胸を打たれずにはいられません。この人もストラヴィンスキーと同じで(「ペトルーシュカ」の甘さ賑やかさなんてそれこそ子供時代の無為さに通うところがありませんか)、どこか子供っぽい人だったんじゃないだろうか、と思います。そういう子供っぽさが最後に響いてくる後期の作品がたまらなく好き。本当にたまらない。お行儀良く済ました子供が、突如そっと立ち上がって森に消えていく、木陰でくるくると誰にも見られずに舞踏の練習をしている、そんな情景を思い浮かべたり、とか。
五番目プーランク、初めてのお立ち会いですがこれがなかなか凄い。本質的には生まじめもいい所なオネゲル、色彩感は極めて豊かだけれどどことなく田舎っぽさが脱け切らないミヨーに比するとプーランクの瀟洒振りは六人組随一でしょうか(デュレ、オーリック、タイユフェールを聞いたことがないので何とも言えないのですが)。オネゲルの死の追悼のために書かれたという「クラリネット・ソナタ」は、六人組特有のお洒落なおどけ方を見せながらも根幹は純粋な悲哀にあります。哀しそうに見せて実はそんなことないよ、という六人組の意地悪さはなくて、本当に人を弔うための音楽です。でもやっぱりお洒落なんだけど、お洒落な哀しみって本物の哀しみよりもっと深く心を抉る物がありませんか。哀しくともどこかお洒落でいてしまうその哀切振りの真摯さに、やっぱり六人組は生真面目な人達だなあと思ったり。だから第三楽章のモダン極まりない楽しい踊り方はむしろ第二第一よりよっぽど哀しく聞こえてしまう。オネゲルのサティ・トリビュートをそのままくみ取ったような舞踏が、この人の精一杯の手向けだったのかなあ、とか。優しい人だったんじゃないでしょうか、プーランク。何となくですが。
一方弔われた側のオネゲルの「クラリネットとピアノのためのソネチネ」は六人組全開です。サティ・トリビュートでありながらもおどけきれずに生真面目になってしまうその可愛さはこの人からしか味わえない。第一楽章のモデラートは胡散臭さ全開のつもりが本当に怪しくてこそばゆい音楽、でもそこが可愛らしい。ピアノの踊りも見事です。第三楽章の飛んだり跳ねたりのリズムはプーランクとはまた違ったお洒落っぷり。どことなく男前なステップ。もっと明るく楽しく踊ればいいのに素直じゃない。「ピアノ小協奏曲」に見えるこの人自身の愛らしさはここでも存分に覗けます。前はイヤミっぽい、とは書きましたけど、あの悲愴な部分もこの人なりの精一杯のおどけだったのかもなあ、と意見転換。それにしても六人組で一番かわいがりたくなるのは間違いなくこの人。いや一番好きなのはミヨーだけど。プーランクも初コンタクトだけど良かったなー。

とにかく名盤なんで、見かけたら是非。入手は容易だと思います。
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