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2009 
November 12
52f720e0.jpg 第一巻聴いて二巻を聴かないわけにはいきません。そんなわけで二巻。
アンタイルの次はシュルホフですかだから誰ですか、と。音楽聞き出してそう経たないもんだからさっぱり解らないですが、ダダ・シーンに影響を受けた音楽家らしい。先頭は彼のピアノ協奏曲。邦題は「ジャズ風に」という副題付き。怪しいなあと思いながら聞いていると、出だしは確かにダダっぽくて「うにゃあ」ってなりはしたのですが、ちょっと経つとアメリカ人顔負けの甘いメロディが。だからといって精神の弛緩には入らない。神秘と、それから飛びっきりの甘さと、何より怪しさ(笑)。調べてみるとチェコのユダヤ人作曲家で、ホロコーストのせいでお亡くなりになったとか。現代音楽の怪しさをばっちりバランス良く配分してるあたり、なかなかツボにはまるタイプの作曲家なんですが、勿体ない若死にだったなあ。東欧音楽の粘着質と現代音楽の神秘とが混ざりながらも、洒落っ気に富んでるあたり、マルティヌーなんかとは正反対ですよね。かなり民謡を排されてるイメージではあるんですけど、でもマルティヌーとは違って身体のある音楽、というイメージも強いかなあ。崩しては玩びの流動を積み重ねるのはマルティヌーに似てるし、確固たるイメージを持たせることを徹底的に拒否するようなのも彼そっくり。東欧音楽ってのは何でこんなに噛みにくいのか。でもスルメだ。それにしても怪しい。第二楽章の「ソステヌート、カデンツァ、アレグロ・エスプレシーヴォ、アラ・マルシア・マエストーソ」というおっとろしく長ったらしい指示からしてとんでもなく怪しい。マーチどこなんだ。第三楽章「アレグロ・アラ・ジャズ、アラ・ジンガーレスカ、テンポ・プリモ、プレスティッシモ」は現代音楽の「熱い」音楽ですね。パーカッションの炸裂気味が何よりとんでもない(演奏陣がまた超かっこいい)。中盤の異邦人めいたバイオリンもミステリアスというか、本当にどこまで行っても見えない音楽を書く。マルティヌーよりなまじ身体に馴染むだけに質が悪い! バイオリンが退場すれば再び打楽器群が大暴れ。呪術的に、でもどこかジャジーに暴れ回ったオーケストラが最後には原始人の踊りさながら回りに回って終曲。呪術(ダダイズムなのか……?)とジャズの混合という一見ゲテモノ風に見える曲の割には、なかなか聴いててエンターテイメントな曲でした。そういうキモカッコイイ現代音楽は好きだ。
二番目はアンタイルのジャズ・シンフォニー。コープランドとガーシュウィンに大絶賛されたらしい割には全く目立たないアンタイルさん。代表作「バレエ・メカニーク」のピアノはコープランドがやったらしいですがそんなもの聞ける金なんてある訳もなく(ナクソスで一枚出てました)。仕事の締切に二年遅れた挙句の初演が(当時の)オール・ネグロ・オーケストラというところから既に曰く付き感はマックス(その間に一山当てたのが後述のガーシュウィンのピアノ協奏曲というわけです)。大穴博打当て作曲家って印象は拭えないですが、でもなかなか。中身は第一巻の「ピアノ協奏曲第一番」と同じで、アメリカ音楽特有の甘ったるさと六人組の無条件の(ぎらぎらと毒々しい)幸福感を混合させた感じ。ガーシュウィンはストラヴィンスキーとフランス人のフォロワー的な作品だと書いているらしいですが、まさしくそんな感じ。ミヨー初期の怪しさも混じってるのかなあ。そしてびっくりするぐらい「どこがジャズだよ!」な感も拭えません。同じような主題を幾度となく反復された挙句、ショスタコーヴィチばりのあやすぃ弦の使い方も「うぎゃあ」ってなる感じ。と思えば弱音器付きのトランペットはゴツク歌ってらっしゃって死ぬ程すてきだし、「いい加減にしろよ!」ってぐらいしつこく続くピアノと弦の裏打ちも何だか笑えてくる。そこにまた弦がちゃかしに入ってくる一方、ピアノはおっとろしくシリアスな顔付きで打鍵……何ちゅう音楽だ。キチガイスレスレというか、成程そりゃガーシュウィンやコープランドみたいな解りやすさとはかけ離れまくり。コープランドのピアノ協奏曲なんてわかりやすいバカっぷりに徹してる分何も考えず「いえーい」と楽しめたりしますが、こいつあキチガイだぜ! っていう。と思えばガーシュウィンのピアノ協奏曲から丸々引用されたり、お前はアメリカのショスタコーヴィチですか。これを知的と呼ぶべきかどうかは私には全く解りませんが、まあ愛すべきキチガイ作曲家とだけは。最後までガーシュウィンの主題をパロディするあたりもうどうしようもない。ただ盛大に笑える音楽という点では物凄く有用でしょうか(笑)。うーん、食えない奴です。ある程度エンターテイメントに徹してるシュルホフより「わかりやすさ」を装うお前の方がよっぽど怖いわ! キチガイ一直線のヴァレーズよかよっぽど怖い人間が居たんだまったく。エンターテイメントとして楽しめるか否かと言えば、前出のピアノ協奏曲の方がよっぽど親しみやすいですね。こっちは毒っ気が強過ぎてなかなか……。
三人目はガーシュウィンの「ピアノ協奏曲」。最早何も言うことはあるまいタイプのアメリカ音楽です。個人的にはコープランドみたいな身体的な快楽を伴うリズムが無い分ちょっと味気ないタイプの人だったりはするのですが、さすがは初代アメリカ音楽家、アメリカ音楽の甘ったるさを惜しげもなく大放出。ピアノが歌ってすり寄ればオーケストラも陽気に爆裂。何より弦の甘ったるいことこの上無い。うーん、書くことがない……。単純に楽しめる音楽ではあるんですけど、何か取っ掛かりがあるかと言えばそうでもない。「パリのアメリカ人」の妙に鼻につくおどけぶりがかなり取れて丸くなった分かなり聞きやすいし、実際そっちよりはるかに良い曲だとは思うんですが。演目としてもちょっとオマケの余芸程度って感じはします。アンタイルと違って真面目に同一主題を繰り返す辺りも身体的な興を感ずるには非常に面白いし、全体の諧謔としても大変ナチュラルでくすりと来る程度のこじゃれたもの。実際よく聞いてはいるんですが、いざ書くとなると本当に書くことのないのが残念ではある。第一楽章第二楽章はアレグロだから仕方ない、ならアダージョの第二楽章に何かあるかなと思ったらそうでもなく、ぬるーいジャズ調で攻めてくる、やわらかコープランド状態。うーん。ま、まじめな音楽だ……としか。嫌いじゃないんですが。

あ、後相変わらず演奏は極めて良好です。熱演です。微妙にオケ側のテンションの冷めた演奏の散見される一巻より遥かに熱い。ピアノ担当のリシェはその代わりガーシュウィンの演奏はなんかこう、商売でやってるような弾きっぷり。メジャーなガーシュウィンなんてやるぐらいならせめてストラヴィンスキーの「ラグタイム」ぐらいはやりたかったのかも。いや、いい曲なんですよ、ガーシュウィンの。でもバリュエーションの利かせた第一巻と違ってちょっと手放しには絶賛できないプログラムだったかなあ、というところ。でもファーストコンタクトのシュルホフは良かったです。後はアンタイルの目立たなかった理由もちょっと解る気がします。晦渋とか六人組的というだけならまだ皆解るんだけど、心地よい馬鹿さ、ということからはちょっとかけ離れる。どうしても鼻につくおどけぶり、たとえばミヨーやサティのような完全に演じ切ったおどけぶりからはちょっとベクトルの反れてしまう、厚かましいふざけ方が滲み出ているからでしょうか。愛すべきタイプとは思うのですが。うーん、ナクソスで一枚買うかどうかは、もうちょっと考えることにします。面白そうなんだけどなあ。
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